誰かの為にしか、生きられません

今日もRasisaのHPへお越しくださり、ありがとうございます。

 

昨日の続き・・・。

 

北川さんは、取材を通して、

「病気を乗り越えて素晴らしい」

と言われるとのこと。

でも、本人は、病気が治らない限り、乗り越えたとは言えないし、

乗り越えたというのなら、病気を達観できたということになると。

 

痛ければ泣くし、

訳の分からない検査は震えるし、

先が見えなくなると安定剤が欲しくなるし、

結果が悪ければ、泣いてわめいて、友人にすがるから、

達観なんてできないし、する気もないと。

 

ある時、本当に酷くなって、

親友に「死にたい」と打ち明けたら、

「私の為に生きてくれ」と言われ、

「彼女の為に生きてみるか」と思ったそうです。

 

北川さんは、それまではずっと自分の為だけに生きていると信じていたけど、

最後の最後には、他人の為にしか生きられないのかもしれない、とおっしゃっています。

 

お釈迦様が、『縁起』という言葉を使っています。

自分というものは、いないのではないか。

しかし、風が吹くと、その風を感じている自分がいる。

風が吹かなければ、自分を感じることもできない。

風が吹く(縁)によって、自分がいる(起)。

 

右手を振っても音は出ないけど、

右手と左手を合わせる(縁)と音が出る(起)。

 

人間は、ひとりでは成り立たないのです。

 

誰かの役に立ちたい、必要とされたい、

そう願うのが人間。

そして、そういう存在になった時、

生きる力が湧くのではないかと思います。

 

私もこのブログを見ている方がいるから、

書こう!と思えるのです!(^^)!

 

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。